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手と目を使って作る・・光による変身(5/10)

最終更新: 6月8日

 5月の陽気の中、閉館中の府中市美術館に来ました。

爽やかな青空と新緑が広がっても、建物の外に、人の姿はまばら。館内はひっそり、がらんとして、展覧会で人々に見られるはずだった美術品が、訪れる人を静かに待っています。


 公開制作で作る“スリット窓シリーズ”の作品は、スリットが上下方向の縦縞になるように並べることにしました。白塗りの木枠を縦にすると、横向きに置いた時より“”のようなイメージが出てきます。スリットの間から漏れる光が、空間的には外部につながっていないのにも関わらず、架空の異次元の空(そら)から格子の内側に漏れ出てきた光のように見えて、実際には誰も閉じ込められてはいないのに、いわば心の檻の内側から外部(しかも存在しない!)を切望しながら見ている・・なぜかそんな心境を想像していました。見えないウィルスの断片的な情報をメディアで毎日確認し、オンラインツールで人と話すためにバーチャルとリアルを行ったり来たりする中で、そんなことを考えるようになっていました。


 前回の公開制作日のあと、美術館に2日ほど来て、スリット窓シリーズの木枠の裏側にLED(Light Emitting Diode:発光ダイオード)を取り付ける作業を行いました。

  公開制作室の机の上での作業の様子。


 今回、木枠ひとつに対して、約100個のLEDを使います。

 木枠はあらかじめ白く塗装していて、半田ごてを使ってLEDと接続用の部品の境目をハンダで接続していきます。LEDには極性があるため、間違って逆向きの配置で接続して電気を流すと、“パチッ”と小さな音をたてて壊れてしまいます。プラスとマイナスの向きを逆向きにしないように十分気を付けながら、一列を接続したらテスターで導通を確認し、という作業を延々と繰り返していました。こうした作業はとても時間がかかるため、合理的な手法と作業プロセスを把握したら信頼のおける人に発注するつもりでいます。それでも、アート作品を作るためにその技術を理解することは大事なことなので、初めて間もないプロジェクトでは、素材の癖や環境・加工の違いによる変化を深く理解するために、できるだけ自分の手を使って作っています。実際、そうして作っていく最中に、新たな発見もあります。


  部屋の入口から向かって奥側と、手前側の両方の椅子を交互に使っての作業。


 LEDの間隔は、縦の列と横の列でそれぞれ同じ間隔とし、長方形グリッド状になるようにしました。グリッドの縦と横の長さは、事前に実験して決めました。光を反射させたい素材の表面にLEDを照射して、光の広がりと明るさ、複数のLEDの光が重なった時の色を目で見ながら良いと思える間隔にしました。もちろん、ここでLEDを好きな場所に自由に置くこともできますし、ランダムに光らせたり、間隔を徐々に広くするなど様々な配置が可能です。でも、そうした場合は、LEDの光源としての存在、なぜその位置で光るか、という意図が強く感じられるようになります。


 LEDを使うアーティストの先駆者の一人で、デジタルカウンターによるコンセプチャルアートではそれ以上は無いような境地に到達している宮島達男の作品の中に、コンセプトと、LEDの発光体であるデジタルカウンターの並べ方とその変化のリズムの関係が突き詰められて結晶化しています。様々に異なる作品を発表していますが、たとえばグリッド状に並んだ多数のデジタルカウンターが明滅する作品では、配列が墓標のようにも見え、宇宙の中で光っては消えていく多数の人間の一瞬の命のきらめき・・その前後の暗さ・・を感じます。ミニマルで無機的な構成なのに、数字の明滅の揺らぎを際立たせて、つかの間の生のような儚さ、情緒的な気分を生み出すなんて、アーティストによるマジックでしかあり得ないと思うのです。


 今回の公開制作の話に戻りましょう。

 “スリット窓シリーズ”では、間接照明の原理で“空虚な”色面だけを見せたく、LEDの存在をなるべく意識しないようにするため、グリッド状に取り付けることにしました。

 LEDは、Red(R)、Green(G)、Blue(B)の3原色の強さを制御して発光光を変えることができるフルカラーLEDを使います。各色を同じ明るさで重ね合わせて光らせると、加法混色で光が白くなります。赤(R)だけを光らせれば、ある範囲の赤の波長の光が出力され、人工的でピュアな赤い光が広がります。RGBそれぞれの輝度を、小さなマイコンでコントロールして、さまざまな色の光を出せるようになります。

 グリッド状に並んだLEDが光る。スリットの隙間の茶色は作業机の天板。


 作業机の上でキラキラと発光するLEDの様子は、この作品を完成さた時に見える光の印象と全く違います。物体の表面でキラキラと輝く使われ方は、商業空間のディスプレイなどで多く見られますが、自分が今回作る作品での光の具合とは決定的に違うのです。それなのに制作中は、キラキラの光に包まれています。

 

 ところで、強く発光するLEDを近くから裸眼で見つめることは、瞳によくありません。私はLEDからの光を弱める眼鏡をかけて、直接見つめないようにして制作しています。皆さんも、LEDを使う際には気をつけてくださいね。


 はんだづけの作業を集中して行って、木枠にLEDの部品を取り付ける作業が終わったら、電源をONにして光にムラや揺らぎが出ないか、色をコントロールするマイコンも使いながらしばらく点灯させて確認します。ここまではLEDが見える状態ですが、その後、木枠を裏返してLEDが見えない位置で光らせ、求めているような光の状態になっているか観察します。モノとして完成させた状態にし、光を点灯すると、作品は劇的に変化します。それは発光体を内側に含むアートの、とても面白い瞬間です。


 そのことと関係して、今日は最後に、都城市立美術館で2007年に「メッセージ2007 南九州の現代作家たち」展に参加したときの思い出を書きます。私は「脈動する-壁に耳あり(移送空間)」、黒い御影石の「モルフォタワー」、映像「呼吸するカオス」で参加しました。


 そこでは高嶺格による滞在制作途中の展示室の様子を見る機会がありました。作家は、現地の若者達と協力しながら、都城市民会館解体の問題を扱った「憂鬱のアンギラス」という光と映像のインスタレーションを作っていました。制作の途中の展示室では、床に大小さまざまな、一見ガラクタのようなオブジェや素材が散らばっていて、いったい、これはどんな作品に完成するのかな?と、私は、不思議に思いました。ですが運よく、会場を暗転させて、光と映像を点灯して全く異なる空間に変化した完成作品を見ることができました。ガラクタのようであった一つ一つの欠片(失礼!)によるインスタレーションは、複雑な制作プロセスを経て光を灯すことで、最終的に見事に統合されたインスタレーションに変身したのです。私はとても驚き、感動しました。やはりこれは、アーティストのマジックと言うほかはありません。

 

 アーティストは一見、部分的には何をやろうとしているかわからないことを行っていることがあります。でも、心の中には最終的な何らかのイメージを持っていて、そのヴィジョンに導かれて、完成に至ります。

 そんなヴィジョンは、どこから来るのでしょうか?

 公開制作室でパソコンに向かって。ブログはメモを元に、公開制作日の後に書きました。



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©2020 by 府中市美術館公開制作・児玉幸子 Sachiko Kodama Open Studio @ Fuchu Art Museum

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